出陣の賦

降魔調伏

呉座勇一「応仁の乱(中公新書)」

室町時代、よくわからん。

南北朝やら「日本国王」こと足利義満やら、そして応仁の乱と見所には事欠かない筈なのに。それなのに...、ハナシがスッキリしなさすぎて面白味に欠ける。

 

特に応仁の乱、本書の帯コピーで「地味すぎる大乱」と片づけられてることでもお察し。京の都を舞台に長期に渡って繰り広げられたにもかかわらず、誰も得しなかった不毛な闘い。東軍・西軍両陣営とも短期決戦を望んだもののズルズルと長期化してしまう。戦に終止符が打たれたきっかけが、西軍の補給路が絶たれたことによる、文字通りの消耗戦の果てだったんだよナー。

 

著者・呉座氏が応仁の乱を、誰もが平和を望んでいたのにズルズル続いてしまったこの戦いを第一次世界大戦に見立て。その元凶の一つとして大和国の内紛事情を挙げ、第一次世界大戦における民族の火薬庫・バルカン半島に見立てたのが画期的だった。

 

ここで、当時の大和国の事情を説明すると。当時は興福寺の実質支配下にある、大和国内は各地で武士が小領主を務めているもののルーツを辿ると興福寺の僧兵出身。しかも興福寺のトップは摂関家出身が務めることになっているから、間接的に公家の名門・藤原家が支配している実態。だから室町幕府側で忖度(笑)して、大和国に守護は置かなかった。それなのに...(笑)。国のトップ・守護がいないせいで国内の領主同士の小競り合いが後を絶たず、隣国・河内国を領する管領家・畠山家が干渉せざるを得ず。ますますハナシが

こじれて遂に京の都で大乱が起きたぞと。

 

しかも、だ。

室町時代、意外にも江戸期のように有力大名が首都に屋敷を構えて常駐(ただし、僻地大名除く)してて。幕政にも参加する形態だったのに。肝心の首都で戦が長引いて、その間に国元で守護代が下克上して国を乗っ取るパターンも頻発したから、国に帰ってしまう大名が続出。そして、誰もいなくなった(笑)。なので、応仁の乱以後の幕府は大名の代わりに、将軍の子分である奉公衆・奉行衆を活用せざるを得ず。それが所謂・将軍のお友達優遇となり、ますます幕府の弱体化を招いたのであった。うん、どっかで聴いたハナシですね(笑)。

 

あと意外だったのが、大河ドラマ「おんな城主 直虎」でも出てきた徳政令の存在。あの不条理すぎるルール、当時は「天災や体制の御一新のとき、社会をリセットする意味でも借金を帳消しにするのは当たり前。」という理論に根付いたモンで。それが応仁の乱で乱発されたんですね~(笑)。

 

そう、徳政令が乱発されるくらい「応仁の乱」は革命。乱に関わった細川氏・大内氏がやがて没落して戦国大名が割拠するきっかけを作ったこと。東軍・西軍両者とも足軽を活用して下克上ムードを醸成したことにおいても「応仁の乱」は革命的。革命、そういう面では素敵。だが維新はダメ、ゼッタイ!

 

したっけね。

 

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)