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出陣の賦

FOR THE SOPHISCATED PEOPLE

逃北(2017.5.5 盛岡)

今日、盛岡市内の「南昌荘」に行ってきた。ココ、明治の富豪が建てた庭園の素敵なお屋敷で。映画「三月のライオン」のロケ地にもなったこともあり、行きたかった場所だった。

 

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行ってみたらまあ、採光が素敵で庭園の眺めも言うことなし。ここ、四季を通じて通ってみたいもんだ。採光が素敵な理由は、アルミサッシ以前の使用のガラスの引き戸。板ガラスがまぁ、そのものが美しくて見てて惚れ惚れすんだけど。オレは知っている。確かにこのお屋敷素敵だけど、住むとなったら話は別だ。この家、典型的な日本家屋のそれで暑さ対策にパラメータ全振りしてそう。要するに暑さを逃がす方向に行ってるから、断熱が残念な方向になってそう。全国の県庁所在地(但し札幌を除く)の中で最も寒いとされる盛岡で窓がガラス一枚は厳しそうだよな。

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それから原敬記念館に行った。いわゆる「平民宰相」で知られる原敬、ほんと地元の地元知らずとは、まさにこのことだったな。


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具体的には、原敬って二度言うけど「平民宰相」とは言いつつも。実際には南部藩家臣、それも結構いい家の子で、平民になったきっかけが成人した時に次男だからと分家したからなんだそうだ。まっ、戊辰戦争で負け組となった東北では。こと、明治のころ結構な数が北海道に逃げたらしい南部藩家臣においては、平民にジョブチェンジしても、支障がなかったのかもと。

 

んで、少年時代に賊軍側の子として明治維新を迎えた原敬苦学生として青春を送り。後に東大法学部となる法務省の法学校に2番の成績で入学しながら、後の学園闘争のはしりになるような揉め事で放校。食い扶持を稼ぐために就職したのが新聞社だった。そう、原敬は、政治家である前にジャーナリストだったんです!

 

館内に、昭和10年ころの岩手日報が掲示されてたんだけど、それが「地元の先輩の新聞界出世番付」で。

 

東の横綱原敬、既に宰相として暗殺されて

10年以上も経ってたけど地元じゃ新聞界の偉い人としての側面覚えてたのかもだ。問題は、西だ。

 

西の張出大関石川啄木なのは微笑ましいけど、西の筆頭大関(ちなみに横綱不在)は横川省三。そうだ、原敬と横川省三って青春時代までは似たような境遇だった!

 

つっても、横川省三って誰も知らねえだろ?

詳しいことはwikiっとけ割愛ということで、ざっくり話すと盛岡藩士の子でクリスチャンで一流のジャーナリストだった。

年齢は10歳違うけど、原敬と共通する要素は多い。それなのに...。

原敬は宰相として、東京駅で暴漢に刺され死亡。

・横川省三は破壊工作者として、ハルピンでロシアに撃たれ死亡。

→死に方は似だくさいけど。原敬と横川省三どうして差がついた、慢心、環境の違い...。

 

は、冗談として。両者とも、もし戊辰戦争がなかったら。あったとしても、もうちょっと敗者の扱いが良心的だったら(具体的には、戊辰戦争の責任を取って処刑された南部藩家老・楢山佐渡が死後何十年も埋葬許可が降りなかった)。こうは、なんなかったべ?早い話、地元で落ち着いた人生を全うできてたはずだ。だが、変化を避けることはできない。与えられた人生を精一杯全うすることが、やがてひとの鼎の重みとなすのではないか?

 

いずれにしろ、原敬も横川省三も与えられた命を全うしたから。こうしてwikiにも遺ったんだと思いたい。

 

なんか長々となってしまったけど、与えられ

た命を無視してラクなことをしているようでは、歴史に名を遺すことなど到底無理ということで!

 

したっけね。