出陣の賦

九州豪雨が一日も早く復興しますように

逃北(2017.5.4 花巻)

予定通り、逃北(とうほく)してきた。

#東北で良かった

花巻は鉛温泉の藤三旅館、ここが映画「海街diary」のロケ地にも使われたと知って以来そのうち行こう行こうと思っていたら今に至る。近場ほど、なかなか行けないという具体例である。


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日本一深い自噴天然岩風呂「白猿の湯」など3種類のお湯を一通り楽しんだ後、売店で牛乳買って一息ついた時。売店のおばちゃんに言われてしまった。

「ここの湯は効くから、しっかり浸かるんだよ。」

そうか、まだまだ「浸かり」が甘かったか。慌ててもう一湯浸かった。ここは本気の湯治場なのだった。

 

その後、近場の高村山荘に30年ぶりに行った。

同行した母に至っては50年ぶりで。

「あの時は駅から雪が積もったなか、やっとの思いで歩いて来た。とっても寂しい所だった。あれから、観光地になったんだねぇ...。」

だそうだ。

 

彫刻家にして詩人にして智恵子の旦那さんでもあった高村光太郎、戦時中に東京のアトリエが空襲で焼けたのを機に岩手県花巻市の集落に粗末な小屋を用意してもらって7年も独居していた事実は地元でも知られていない。今で言う独居老人のはしりであった。


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 (立派なお宅に見えるけど、コレ覆堂で中に粗末な小屋が鎮座してる。)

彼がこんな生活を選んでしまったのも、

・戦時中、詩人として戦争協力したことに対する反省。

・智恵子とべったりな夫婦生活で、世間と距離を置いてたことが、かえって智恵子に逃げ場を奪わせた事に対する反省。

・時代が一新されたことで、新しい文化的コミューンを地方で作ろうと思ったこと。

→とかが、あったらしい。


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(月夜の晩はここに立って「智恵子~!」と叫んだ当時60代の光太郎)

 

結局、今も十和田湖畔に立つ「乙女の像」制作のために東京に戻るんだけど。きっと花巻での生活が、いい肥やしになったんじゃないかと思う。何度も言うけど、しっかり結果を出した人は。ある時点でしっかり休んだほうが、後々いい結果を生むきっかけになるのだ。しっかり結果を出した人は、な。

 

したっけね。

 

 

海街diary